明日から行くのだが

2005年3月23日
明日から韓国へ行ってくるのだが、
お誘いしてくれた夫の韓国人の友達Sさんとの連絡が取れない。

彼が宿を予約してくれると言っていたのだが、
果たして大丈夫だろうか??

まあ、いざとなったらバックパッカーの経験を生かして、
どこか宿を見つけようと思うけど。

今度は子供二人に、若干高齢者(私の母)も一緒なのだ。

果たしてどうなることか??

交互期待、
いや、乞う御期待。
覚えてて下さって有難う。

今日うちのはるは8歳になり、私はウン歳になります。
               (↑もう直視しない)

たぬちゃんは27歳ですか!
本当におめでとうございます。

早いものですね…。しみじみ。

3年前の今日、ここで出会ったんですよね。
出会い系サイトとしても使えますね。
…いやそうじゃなくて☆

ネットという、
あるんだかないんだかわからないものを通して、
はしっことはしっこにある、
温かい肉体がつながっているんだなって、
何だか不思議な気がします。

いや肉体がつながっているんじゃないか。
そうじゃなくて肉体が発信する思い。
そういうのがネットを辿っていくわけだよね。

来年も再来年も、
こういう風にお互いを祝えたらいいなぁ。
お誕生日だけじゃなくて。
日々の小さないろんなことも、
おっきいめでたいことも。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

たぬちゃんの今年に幸いが一杯ありますように♪
いわむらさんは本当に絵が上手いです。

そんなこと私が今更言わずとも、
皆さんご存知な訳ですが。

この水面の描き方はすごい。

いわむらさんの絵本が楽しいのは、
色んなところに色んなものが隠されているから。

こどもたちはそれを見つけるのが大好き。

虫好きな息子は特に、
ちゃんと難しい名前を知ってたりするので、
驚きますです。

栃木県馬頭町のいわむらかずお絵本の丘美術館に行くと、
本物のいわむらさんがよくいます。

これまで2回お会いしました。

ショップで買った絵本にサインしていただけます。

最初は息子だけの名前で。
つぎはこの「とんぼいけ」に、
息子娘の名前を書いていただきました。

絵本を書くとき、
いわむらさんは鉛筆で描いて、
それをコピーしたものに色をつけるようでした。

そういう過程も、美術館では見られます。

お天気のいい日、
お弁当持って行くのがオススメ。
丘の下には、温泉もあります。
「ゆりがねの湯」というところがお気に入り。

露天風呂が気持ちいいです。

ISBN:4494008982 単行本 いわむら かずお 童心社 2002/06/30 ¥1,260

アルペン踊り・・・

2005年1月16日
タイトルでお解りにならない方も、
いらっしゃるだろうか?

♪アルプスいちまんじゃく、こやりのう〜えで♪
で始まる歌の中で、
♪アルペン踊りを踊りましょ♪
という一節があるのだ。

そのあとは能天気にも♪らんららんららららん…♪である。

私はその昔から、
アルペン踊りってどんなんかな〜〜?と、
疑問に思っていたのだが、
先日学校から帰った息子が、
その歌を音楽で習ったらしく、
私と全く同じ疑問を口にしたのだ!

おお、同じ遺伝子のなせるワザか?
(何故か感動)

そこでアルペン踊りについて、
今一度家族で話してみた。

アルペン踊りという言葉から思い浮かぶのは、
スイスの民族衣装を着た男女の、
フォークダンスのようなもの・・・。

アルプスいちまんじゃくは一万尺ということであろう。
こやりは小槍?思うに、すごく高い山の上の、
細〜い尾根かなんかみたいな所?

そこで踊るんだね。
狭くて落ちたら大変そうだよね。それに寒そうだしね。
気楽にスキップなんかしてられそうにないねぇ。

考えてみれば、私の頭の中にあるのは、
オスロの野外博物館のステージで見たフォークダンスであった。
果たして、スイス辺りにもあるのだろうか?

スイスも旅行したことあるが、
そんな催しは見た覚えはない。

どんな踊りなんだろう「アルペン踊り」〜〜〜!!
ますます疑問は膨らむのであった。

数日後。

息子が、
♪…こやりのう〜えで、
マツケンサンバを踊りましょ♪
…と歌っているのを耳にしてしまった。

これも山の上で踊るのは、
なかなか大変そうである…。
以前も図書館で読み聞かせをしたことがあるんだけど、
今回借りて来てみて、子供達ににわかキャベツくんブームが。

キャベツくんのお友達ブタヤマさんの、
「キャベツ、お前を食べる!」という台詞があるのですが、
子供達は食事中に目の前の食べ物に向かって、
「○○、おまえをたべる!」って宣言してから食べるんですよ。
その言い切りっぷりが、なかなかかわいいです。

子供達はキャベツを食べたへびやくじらの絵とか、
そういうのも気に入っているみたいです。

ここでキャベツくんって人格があるんですよね。
お友達に正面切って「おまえをたべる!」って言われたら・・・?
かなりシュールなお話ですよね…。

でもこれだけ子供に好かれちゃうのはすごい。

長新太というひとは、
一見いい加減に描いているように見えるのですが、
なかなかあなどれないです。

ISBN:4580811437 − 長 新太 文研出版 1980/09 ¥1,305 子どもたちに絶大な人気を誇る作者の代表作となる1冊。第4回絵本にっぽん大賞を受賞し、全国学校図書館協議会基本図書に選定されるなど評価も高い。続編として『ブタヤマさんたらブタヤマさん』『キャベツくんとブタヤマさん』などがある。 腹ぺこのブタヤマさんとキャベツくんが道でばったり出会う。キャベツくんを食べようとするブ…
この一年、あっという間に過ぎた気がします。

特に前半、大きな出来事も多かった。

義父の死
夫の転勤
娘の入園
息子の転校

周囲の環境も大きく変わったし、
人間関係も新しくなった。

ヨーロッパかぶれだったはずの私が、
韓流の波にさらわれてすっかりハマりまくり、
HPの方が旅日記転じて韓流日記に…。
(こちらでは子育て日記を守りました!)

4月からわかりやすく教えて下さる方に恵まれ、
ケーキ作りにハマったこと。
一体今年幾つのケーキを作ったことでしょう?
20個くらいかな??もっとかも知れない。

美味しいケーキが自分で焼けるなんて、
自分でできるなんて思ってもいなかったので、
もんのすごいヨロコビでした!

子供達も夫も喜ぶし、お客さんも驚くし、
自分でもすごく楽しいし、
これは大きな収穫でした。

調子に乗って始めた、自己流パン作りも、
とっても楽しくて役に立ちました。

来年はもっとそれぞれ深めて行きたいな。

そして結婚12年の今年、
たくさんの電化製品と車を買い替え(買い足し)ました。

洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、ホットカーペット、
温風ヒーター、HDDレコーダー、CDラジカセ、
え〜と他にもあったっけ。

引越しとあわせてとにかく出費が多かった!!

来年はそんなに出費がなくて済むかしら??

でもそろそろ落ち着いて住む場所も探したいし、
大きな買物をしなくてはならないかも?

でもとにかく家族みんなが健康で、
心身ともに元気に仲良く過ごせるといいな。

日記を読んでくださった皆様、
今年一年ありがとうございました。

来年もきっと細々と続けていくと思いますので、
また遊びにいらして下さいね。

皆様のお宅にもよい一年が訪れますように、
心から願っています!
幸い晴れていたので、
暮れの大掃除らしく、
破れていた障子を張り替えました。

もう何十年振り、というか、
むか〜し実家で張替えをしていたのは、
私ではなくて母で、
私は見ていただけなんですが。

何と何とイマドキは、
アイロンで貼る障子紙なんていうのが、
あるんですねぇ。

糊で貼らなくてはならないと、
気が重かったので、
ホームセンターで見るなり、
これだ!と即購入。

子供達に破いて貰って、
雑巾で糊を落として、
その後乾かして、
アイロンでやってみました。

くっつくんですよ〜それが。
結構面白く出来ました。
あのサンに細々と糊を塗ることもなく、
貼る緊張も大幅に少なくて済みました。

下の和室と二階の寝室だけですが、
張り替えると何だか旅館の一室みたいです。

やる前は面倒くさかったのですが、
なかなかいいもんだなぁと思いました。

今日は朝から家族総出で、
窓拭きや床拭きや、車洗い。
年の瀬らしい一日でした。

晴れてはいるけれど、何だか寒くて、
身体のあちこちから寒さが沁み込むなぁと、
思っていたら、風邪を引いていたらしく、
夕食後は発熱でダウン。

葛根湯を飲んで、早めに休むことにしました。
忙しかったこのところの疲れが出たみたいです。
プレゼントを買うなら今日しかない!

でも子供たちが一緒で気付かれずに買うには??

考えたのが、寝かせ作戦。

どこかへ出かけた帰りに眠ってしまったところで、
トイザ○スへ駆け込んで買う。

作戦上手く行きました。
途中までは…。

すやすや二人とも眠ってしまった隙に、
私が走って買いに行きました。

上の子へのお城のレゴはすぐ見つかった!
下の子の自転車も、何とかあった!
でも、いざレジに行くと…。
自転車は組み立てに3,40分かかるとのこと。

が〜〜〜ん。
そんなにかかったら起きてしまうよ。
これまでだって相当眠っているんだから。

でも他に方法はない。
起きないことを祈るのみ!

駐車場の車を覗き込み、
とりあえずレゴを積み込む。
まだ目覚めていないのを確かめてホッとする。
でも、あと25分も??心配…。

一階の他の家電店で時間をつぶす。

指定時間の5分前に受付けカウンターに。

でもやっぱり待たされて、
やっと出来てきた時は指定の時間より10分過ぎていた。

車の近くまで行くと、夫が見つけて出てきてくれた。
ハッチバックを開けて自転車を積み込もうとした時…、
なんと、二人とも目をパッチリ開けて、
こちらを見るではないか!!
よく眠ったって感じで機嫌も悪くない。

私たちは二人とも凍りついた。
一体どうしよう??
このままじゃ積み込めない!
幸い今は座席に隠れて自転車は見えないけれど。

私はとっさに娘の隣に乗り込み、
持っていた袋入りハイチューを出して、
「何味がいい??」と訊いた。

「イチゴ味!」「ぼくオレンジ!」
これで注意が逸れて、
その間に、夫は自転車を荷台に積み込んだ。
私は子供に掛けていたフリースブランケットを、
さりげなく自転車に掛けた…。

今思い出しても、血が凍る瞬間だった。

夫もどうしよう!と思ったと言っていた。

でもお陰様で何とか、
今朝(25日)サンタさんからのプレゼントとして、
レゴと自転車を子供達に贈ることが出来た。

やれやれ。
サンタさんに化けるのも楽じゃない。
昨日の朝、
玄関の電灯をつけるスイッチの脇に、
なにやら貼り付けられているのを発見。
…?メモ用紙のよう??

裏返してみると、息子の字で、

「おしろのレゴをください
サンタさんへ」

…と書いてありました。

早速、夫に「コレ見てみて!」と、
見て貰い、「かわい〜〜〜!」と、
二人で笑っちゃいました。

どうしてここに貼ったんだろう??

玄関ホールにクリスマスツリーが飾ってあるから??

私たちがサンタさんだと知ってのことか、
それとも本当にサンタさんだと信じているのか?
(息子は小学校2年です)

実は今年になってから、
「サンタさんって本当はお父さんとお母さんなんでしょ」
・・・と言われたことがあり、
「そんなことないよ。サンタさんフィンランドに住んでるでしょ」
…と否定したことがあった…。

一応それで信じてくれたのかな?

なんかほのぼのしちゃいました。
早速、トイ○○スに買いに行かなくっちゃ!

自分を大切にしよう

2004年11月24日
あることがあって、
娘に(もちろん息子にもだけど)
一番に教えなくちゃならないことは、
もしかして、
「自分を大切にしよう」ということじゃないかな、
・・・と思いました。

一ヶ月もご無沙汰

2004年11月2日
…こんなに書かなかったのに、
ちゃんとログイン出来て良かった。

この一月の間に、
台風や地震が日本を襲い、
幾多の生命が失われ、
大勢の人が家を失って、
苦しい状況の中にいる。

着るものを送ろうかと思ったら、
新品のみの受付けだとか。
なので募金をしましたが、
私の送った額なんて、
焼け石に水なのだろうな。

この世の終わりが近づいているのかな。

2歳の男の子が92時間ぶりに生還。

最初は全員生存とのニュースが流れ、
ウチにいたママ友たちから、
いっせいに大喝采が沸き起こったのですが。

お母さんとお姉ちゃん、本当に残念でした。

彼が生き残ったことが、
妻と娘を失ったお父さんの、
どれほどの慰めになることか。

でも、こんな恐怖を長い時間、
たった一人で味わったなんて、
人知れぬ心の傷は大きいのではないだろうか?

あの恐怖を忘れない

2004年9月30日
もう書いてもいいよね。

5年前の今日、東海村で臨界事故が起きました。
私がこないだまで住んでいたところは、
事故が起きた場所から10km圏内でした。

あの年は9月になっても暑い日々が続き、
終わろうとするこの日もとても暑かった。

息子がまだ2歳で、外に出るには暑すぎた。
TVもつけずに家にいた。窓ももちろん開けていた。

3時過ぎごろだったろうか?

夫から電話で、
「東海村で放射能漏れがあったらしい、外には出ないで」
・・・と言われた。
その時はまだそんなに重大事であるという印象ではなかった。

でも、事態は深刻だった。
臨界が起きた現場では、従業員3人が被爆し、
もう誰も近づけない状態だったのだ。

詳しいことは全く解らないまま、
家の中で同じ言葉を繰り返すニュースを見続けた。

何も出来ない。
得体の知れない原子力の暴走に怯えた。
放射能は目に見えない。色も匂いもない。
どこまで危険が迫っているのだろうか?

夫が帰ってきたのはいつもと同じ位の時間。
東海村より北にある職場から帰るには、
事故現場から2kmくらいを通る常磐線を使うしかない。

雨も降っていたと記憶している。
そしてそれは、
原爆の後の「黒い雨」を連想させて不気味だった。

ニュースをつけっぱなしにしていた。

22時過ぎ、ニュースステーションで、
「常磐線が運転停止になった」という報道があった。
私ははじかれたように立ち上がり、
入浴していた夫に、
「ねぇ逃げよう!ここから離れないと危ないよ」
・・・と言った。

誰も暴走する核分裂を止められないのなら、
被害を最小限度に抑えるために、
危険地域は隔離されてしまうだろう。

鉄道が止まり、道路も閉鎖されれば、
私たちは危険地域で身動き出来なくなってしまう…。
その前に少しでも遠くに逃げなければ!
そう思ったのだ。

慌てて旅行バッグに数日分の荷物を詰め込み、
(どうしてそれまで気がつかなかったのだろう?)
急いで車に乗り込んだ。

この時も雨が降っていた。
放射能が含まれているかもしれないので、
極力濡れないように気をつけた。

暗い屋外は、いつもと変わりがなかったが、
ラジオのニュースだけが、緊急事態を告げていた。
半径10km圏内の住民に屋内退避の勧告が出されたという。

SF映画の劇中にいるような非現実的な感覚だった。

とにかく事故現場から少しでも離れようと南を目指した。

一時間半も走ったろうか?
土浦まで辿り着いたころには、
もう真夜中になっていた。

駅近くのビジネスホテルに宿を取り、
ようやく少し緊張がほぐれるのを感じた。
少なくとも、一番危ない場所からは離れたのだ。

翌朝の安堵感は忘れられない。
とにかく現場を離れる決心をしたのは、
正しい判断だったと思った。

私と息子は、電車で横浜の実家を目指した。

夫は土浦の友人宅へ行き、
事態を見守った。
とりあえずこの日、職場が休みであることは間違いないのだが、
その後、いつ出勤しなければならないか解らなかったからである。

午前中には、臨界が一応終息し、
最悪の状態は避けられた、という報道があった。

10km圏内の避難勧告が解除されたのは、
この日の夕方である。

この日も暑かったのだが、
友人の話では、クーラーもかけられず、
窓を開けることも出来ず、
地獄のような状態だったらしい。

食糧の買い置きのない家はどうしていたんだろうか?

息子と私は完全に安全が確認されるまで、
実家にいようと思った。

放射能技師の知り合いも、それを薦めた。
結局、一週間ほどいて、自宅に戻ったのだが、
その時も「まだこちらにいたら?」と言われたくらいである。

その後、事態が明らかになるに連れ、
危険な放射性物質のずさんな扱いが原因であることがわかった。

危険な現場には、その本当の危険を知る人ではなく、
下請けの業者が入るそうだ。
彼らにはその危険を詳しくは知らされていないらしい。

規模の小さい放射能漏れは日常茶飯事だという話も聞いた。

住んでいた地域には原子力関係の施設が幾つもあった。

私は心底恐ろしかった。

何かあれば、誰も手がつけられなくなる禁断の物質を使って、
たとえば電力を起こし、便利な生活が出来たとしても、
その裏側にはこうした危険が潜んでいるのだ。

人間は謙虚になって、そんな危険な行為から手を引くべきだ。
今回のことはその警告ではないのか?

一刻も早く、その地を去りたかったが、
勤め人の悲しさ。転勤にならないとそれは無理なのだ。
春に転任してきたばかりでは、不可能に近かった。

その年の暮れに、ずっと重症だった被害者が亡くなった。
私の近所に、彼と中学校で一緒だったという人がいた。

翌年の春くらいまで、影響は続いた。
県内の農産物が市場から締め出されたり、
買い控えられたりした。
私も出来れば他県産のものを買うようにしていた。

息子は春に幼稚園に入園。

2000年問題の危機が騒がれた時も、
とにかく原子力関係の施設から離れておこうと、
千葉で年越しをした。

このことを忘れるまい、とする私の周りで、
緊張した空気はだんだん薄れていった。

幼稚園で一緒の人たちがそこに家を建てると聞いて、
私ははじめ耳を疑った。

その辺は確かに便利なところで、
東京圏からくらべれば格段に安く家が持てる。

ここには大きな企業がいくつもあって、
その会社に勤める人たちは、事実上そこから離れられないようであるが、
自ら選んでこの地で一生を過ごそうと言うのだろうか…。

私は絶対厭だと思った。
私も早く落ち着きたいが、
住むのなら安全な土地に住みたい。
ここからは早く離れたい。

親しい人が家を建てると聞いては、
「本当にいいの?あんな事件があったのに?」と、
いう言葉を呑み込んだ。

言えないよねそんなこと。

増して原子力関係の会社に勤める人には…。

家を建てる人たちは後を絶たず、
小学校入学前くらいにその動きはピークに達した。
知り合いの中で30軒くらいは聞いただろうか?

ずっとその地を離れたいと願っていた私たちは、
あの事件から4年半を経て、
ようやく移動することが出来た。

離れてみて、近くに危険な施設がないことの安心感を、
ようやく味わうことが出来た。

住んでいる地域を受け入れられないことは不幸である。
この4年半は正直辛かった。

私は、あの事件のこと、
あの恐怖の夜を忘れてはいけないと思う。
今でも決して忘れるまいと思っている。

でもそう思う度に、
選んでその地に住んでいる友人達に対して、
胸の痛む思いがあるのだ…。

参考:http://news.kyodo.co.jp/kikaku/tokaimura/n-doc.html

ありがとう

2004年9月3日
嬉しかったです。
DVD スタジオジブリ 2001/12/19 ¥4,935

うちでは以前BSから録画したビデオがあるのですが、
我が家の子供達はもう何度これを観たことか!

息子が一歳から二歳にかけてはホントに助かりました。
(その頃はビデオのストックも少なかった)

一人で何かやりたい時には、これをかけていればOKでした。

でも、ミミちゃんがパパンダに抱きつくシーンでは、
必ずその真似をするので、近くに居なくてはなりません。
今日娘のリクエストに応えてかけていたら、
娘も同じことをやったので思い出しました。

内容はホントに宮崎アニメの原点って感じ。

「パンダは竹を食べる」って勘違いがあるのもご愛嬌。
ホントは笹の葉ですよね?

☆★☆★☆

パンダブームにわく1972年に公開された「パンダコンダ」シリーズは、宮崎駿(脚本)と高畑勲(演出)という「黄金コンビ」が手がけた劇場用短編アニメ。 おばあちゃんと2人暮しのミミちゃんだったが、おばあちゃんが遠くに出かけることになり、ミミちゃんはひとりお留守番。そこに言葉を話すパンダの親子がやってくる。ずっとパパと…

☆★☆★☆★

美香ちゃん

るるちゃんとこでさっき気が付いて、
間に合わなかったけれど、思わずリンクしました。

文章って人なんですね。
読んですぐわかりました。

美香ちゃんの文章は今でも美香ちゃんです。
美香ちゃんはずっと美香ちゃんなんですね。

懐かしくてじんとしてしまいました。

貴女に届きますように。

夏休み終了!

2004年9月1日
やった〜〜!夏休み終了!!!

これがどんなに嬉しいか、
全国の小学生を持つお母様方なら、
きっとお解りになることでしょう。

夫も息子も、
娘もそれぞれの場所へ出かけていきました。

洗濯物もすっかり青空の下に干して、
(今日はばっちり乾きますね)
今私はコーヒーを淹れて、
ホッと一息ついています。
韓流母のお土産のゴディバのクッキーなんか、
つまみながら…。

このひと時のシアワセ♪

皆を送り出すまではやっぱり緊張してるんですよね。
忘れ物はないかとか、時間は大丈夫か、とか。

特に夕べは持って行くものを揃えるのに、
随分時間がかかりました。
雑巾だのこまごました宿題だの、
給食セットだの、上履きだの、作品だの…。
息子は荷物だらけになって登校しました。

あの〜いつも思うんですが、小学生の親って、
事務的能力が要りますよね。
書類の整理とか提出とか、結構煩雑だったりします。

書類の類が捨てられない私は、結局整理下手で、
その割りには普段楽観的だったりするので、
直前になって探し物をしたり慌てることが多いです。

幼稚園はまだお手紙や提出の類は少ない・・・、
宿題はないし・・・。
でも小学校、幼稚園が一緒になると、
書類の枚数も半端じゃないです。

宿題や持って行くものがたくさんある、
新学期の初めはその総集編と言ってもいいかも!

二人でも大変なのに、
三人以上お子さんがいらっしゃるうちは、
どんなに大変なことでしょう。
ちゃんとやっているお母様方、尊敬します。

ここ数日は結構自分の貧しい能力の限界まで頑張った??

誰も褒めてはくれないので、
心の中で「頑張ったね」と、
ねぎらってあげちゃったりしたい気分です。

実は・・・。

娘を送る時は、ついいとおしくなって、
「行かないでお母さんと一緒にいようよ」って、
言ったんですけれど、
「ううん、幼稚園に行く」と嬉しそうに、
バスに乗り込んでいきました。

普段はとても甘えっこさんなのに。
ちゃんと自分の世界が幼稚園にもあるんですね。

子供の成長って早いですよね。
なんだかちょっぴり寂しいような気もします。

私も自分の世界を充実させなくては!
今度のうちは寝室が思い切り東向きだ。

朝は盛大に陽が入る。
顔直撃だ。眩しい〜〜。

そうだ、こういう時こそ、
昔からおなじみのあれをやってみよう。

そこで、
手のひらを太陽に透かしてみました。

・・・透けない〜〜!

マッカに流れる血潮が見られるんじゃないの??

指は赤く見えるけど、血管を流れる血なんて見えないよ。

私の手のひらって分厚いの??
ふつーの人は手のひらも透けて見えるの??

この歌を知って何十年になるだろう。

僕の血潮が透けて見えないことに、
生まれて初めて気付いてしまった。

ちょっとショック。

名曲の真実、皆さんご存知でしたか??
夜中に起きていると、
玄関においてあるカブトムシの、
活発に活動する音が聞こえる。

プラスティックの箱と身体が擦れ合う音なのか、
きゅるきゅるという音が、ひっきりなしに聞こえている。

パワフルだなぁ〜〜。

七夕の願い

2004年7月7日
息子「ハリーポッターになりたい」
娘「アイスクリームやさんになりたい」

幼稚園で短冊を見ましたが、
色んな願いがあります。

「りんごになりたい」
「かめになりたい」
「デカレンジャーになりたい」
「キティちゃんになりたい」

…ならないで欲しいなぁ…。
先日胃カメラを呑みました。
大変だ。とは聞いていましたが…。

いやぁ苦しかった。
非人間的な検査ですねあれは。

胃の動きを止める筋肉注射も痛かったし、
のどで止めていてください、と言われた、
麻酔薬もヒドイ味と刺激だったし、
自分の意志と関係なしに、
咽喉を下っていくファイバースコープの、
気持ち悪さと来たら、ぐええぐええでした。
サイアク。

おまけに胃の中でなんか硬いものが動いてる。
胎動とは全然違います。あたりまえか。

看護婦さんが優しい人で、
検査の間中、ずっと背中をさすっていてくれた。
気持ち悪さは変わらなかったけど、
サイアクな中で、誰かが一緒にいてくれるというのは、
本当にありがたいものでした。

「がんも潰瘍もないですね」と言われ、
また生き長らえることが許されたんだなぁと、
世界がちょっぴり新しく見えた。

でも相変わらず胃が重いんですが。
むかむかしてコーヒーが全く美味しくないんですが…。
痛みは良くなってきた気がするけれど。

え、三人目??

それだけはない、ぜったいにない!
(きっぱり)

きっとストレスなんでしょうねぇ。
あってもいいものなのでしょうか?

あまりにも悲しすぎる。

ご家族の気持ちを思うと、胸が痛む。

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