猫に学ぶ

2002年7月9日
私は甘えるのが苦手だった。

父は姿は大人だが、全く成熟していない子供で、
というか宇宙人で、私を受け止めることの全くできない人だったし、
母も、そんな父との生活や、仕事や家事に手一杯で、
私の甘えを受け入れようなどとは思ってもみなかったようだ。

一人っ子は我がままだとか、甘えん坊だとか決めつけられる度に、
何にも知らないくせに、知った振りしないでよ。
一人なら必ず大切にされてるなんて、本気で思ってるの?
...と密かに冷たい視線を返していた。


若い頃はそれなりに見た目が可愛くて
(なんて言うのは、オバさんになった証拠?)
ラブレターなんかも貰ったものだ。

でも、大体が、甘ったれた内容だった。
子供男は父親だけでうんざりするほど充分だったので、
返事を返す気にもなれなかった。
書こうとすると、つい優しげなことを書いてしまい、
かえって気を持たせることになりかねなかったから。

ホントの自分を受け入れてくれる人が欲しかった。
それだけの器量を持った、私よりオトナの男の人を、
心の底から求めていた。

実は私は寂しがり屋で、甘えん坊だったのだが、
そんなことはないかのように振舞っていたと思う。

大人になって、幾人かの男性と、
少しだけ付き合ってみたが、
心の求めは満たされなかった。

旅先で出会えた彼は、
これまで出会った中で一番優しい人だった。
オトナの自分をちゃんと持っていて、
自らの口で、私と一緒にいたいと言ってくれた。

結婚して、
お互いの行動の前提が違い、
どのように一緒にいるべきか、よく分からない日々が続いた。
でも、その中で私は、甘えられない自分に気付いていた。

心では求めていても、必要ないかのように、
振舞ってしまうのが癖になってる自分がいたのだ。

私はどれほど父に甘えたかったことだろう。
焼け付くような飢えを満たされないゆえに、
要らないのだと、自らに言い聞かせていたのかもしれない。

その飢えを満たすのは夫であるべきだ。
でも、私はどうしたら、甘えられるのか分からなかった。

そんな時、実家にいた猫に、
つくづくと感心したものだ。
普段は好き放題にしているくせに、
自分が甘えたくなると寄り添ってくる。
もともと猫嫌いの母を、
その手で、すっかり味方につけて、
実家で、我がもの顔に振舞っている。

私は猫の行動を観察し、
真似してみようと思い立った。
恥ずかしがっちゃいけないわけね。
欲しいものは欲しいと、はっきり堂々と要求するのね。
声やしぐさはそういうふうにするのね。

なるほど。
夫にそういう風に振舞うと、
私が甘えたいことを理解してくれるようになり、
コミュニケーションが上手くいくようになった。

おかげで、私の幼少時からの飢え渇きはだいぶ満たされ、
大人になりきれなかった自分を、少しは脱出できたと思う。

子供に振り回される忙しい毎日の中で、
時々は猫になってみることを思い出さなければならない。

猫さまさまである。

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