今日のは、ちょっと暗いです
2002年6月2日暗い気持ちになりたくない方は、読むのをやめた方がいいかと...。
ごく近い親戚が、複数の消費者金融からお金を借りて、
返済不能な状態に陥っていることを、昨日はじめて知った。
とりあえず、当座の返済のために
30万貸してくれと言われた彼女の母が、
それを工面することができず、
何とかならないかと、
うちに電話をよこしたので判明したのだ。
うちにとっても大金であるが。
今、一回出すことが出来ないわけではない。
けれど、これから毎月のことであれば、
払い続けることはできない。
きっと利子は、雪だるま式にふくれていく。
うちのあちこちからお金を集めて、
1社でも2社でも、完済するようにした方がいいのか。
夫婦で話し合った。
でも、その前に、とにかく事実をはっきりさせようと、
直接彼女に電話をした。
毎月の返済は50万にのぼっていた。
返済のために、別のサラ金からお金を借りて、
それが7社にもなっていた。
彼女は自分に保険を掛け、手首を切ったことも
何回かあるそうである。
元はといえば、生活費の補充だったという。
確かに彼女の生活振りは、ちょっと不審に思わないでもなかった。
お金がないという割には、高価な電気製品を買い替えたり、
子供に、安くはない楽器を買い与えたりしているので、
口で言うほど大変な状態ではないのだろうと割り引いて考えていた。
けれど、それが借金をしてのことであったとは。
彼女の両親は、彼女がまだ幼いころ、苦労して家を建てた。
しばらくして、もう少し大きな家を建て、そこに移り住んだ。
両親は、働いて働いて、今風に言えば住宅ローンを返済した。
育ってきた環境は常に「お金がない」状況だったらしい。
きょうだいの一人は、その中で倹約することを覚え、長じても無駄遣いを嫌った。
その一方で彼女は、自分の家庭を持った時、
成長過程の心の飢え渇きを、
自分の家をもので満たすことで補おうとしたのかもしれない。
そしてその末に待っていたのは、幼少時よりもっと悲惨な借金地獄だった。
悲しいことである。
(もっと悲しいことに、彼女の父は、働きすぎがもとで倒れ、
早くから寝たきりとなって、自分が苦労して建てた家の中を、
自由に歩き回ることも出来ない状態である。)
彼女の両親も、彼女も、それぞれに豊かさを求めたのである。
けれど、それが結果として、一層の貧しさを彼らにもたらしたのであれば...、
残念ながら求めたものが間違っていたと、言ってもいいのかもしれない。
お金の面で力になれない私たちは、
情報を提供しようと思った。
インターネットで調べたが、あまり埒が明かない。
法律関係の知り合いに相談すると、
自己破産の手続きをすることを勧められた。
社会的に破綻するわけではないらしい。
図書館に行き、
彼女の住んでいる地域の電話帳を調べ、相談窓口を探した。
○○県貸金業協会という社団法人があり、
多重債務者の相談に応じているようだ。
弁護士のページを探すと、弁護士会の法律相談センターがあり、
多重債務者の相談予約電話番号が載っていた。
個人の弁護士でも、
そういった相談を専門に受けているらしい人物が何人か見つかった。
忌々しいことに、消費者金融のページは実に華やかである。
みな、それぞれに1ページを費やして、かわいい子犬の写真や、
平和そうでにこにこした人のイラストを使って、
どうぞ、うちから借りてくださいと呼びかけている。
それが、何ページも何ページもえんえんと続くのだ。
私たちの家も、しがないサラリーマン家庭で、
旅行をしたり、パソコンを買い替えたりすれば、
てきめんに、別のところで我慢しなければならない。
けっして豊かなわけではない、と思っていた。
でも、
どうだろう。
借金がないというだけでも、何て豊かで平和なことか。
お金のことで言い争うこともなければ、
取立てにおびえることもない。
自分の分を越えそうになったとき、
小さな平和を軽く見て、感謝を忘れそうになったとき、
今日の気持ちを必ず思い出すようにしようと、
心に深く刻み付けた。
ごく近い親戚が、複数の消費者金融からお金を借りて、
返済不能な状態に陥っていることを、昨日はじめて知った。
とりあえず、当座の返済のために
30万貸してくれと言われた彼女の母が、
それを工面することができず、
何とかならないかと、
うちに電話をよこしたので判明したのだ。
うちにとっても大金であるが。
今、一回出すことが出来ないわけではない。
けれど、これから毎月のことであれば、
払い続けることはできない。
きっと利子は、雪だるま式にふくれていく。
うちのあちこちからお金を集めて、
1社でも2社でも、完済するようにした方がいいのか。
夫婦で話し合った。
でも、その前に、とにかく事実をはっきりさせようと、
直接彼女に電話をした。
毎月の返済は50万にのぼっていた。
返済のために、別のサラ金からお金を借りて、
それが7社にもなっていた。
彼女は自分に保険を掛け、手首を切ったことも
何回かあるそうである。
元はといえば、生活費の補充だったという。
確かに彼女の生活振りは、ちょっと不審に思わないでもなかった。
お金がないという割には、高価な電気製品を買い替えたり、
子供に、安くはない楽器を買い与えたりしているので、
口で言うほど大変な状態ではないのだろうと割り引いて考えていた。
けれど、それが借金をしてのことであったとは。
彼女の両親は、彼女がまだ幼いころ、苦労して家を建てた。
しばらくして、もう少し大きな家を建て、そこに移り住んだ。
両親は、働いて働いて、今風に言えば住宅ローンを返済した。
育ってきた環境は常に「お金がない」状況だったらしい。
きょうだいの一人は、その中で倹約することを覚え、長じても無駄遣いを嫌った。
その一方で彼女は、自分の家庭を持った時、
成長過程の心の飢え渇きを、
自分の家をもので満たすことで補おうとしたのかもしれない。
そしてその末に待っていたのは、幼少時よりもっと悲惨な借金地獄だった。
悲しいことである。
(もっと悲しいことに、彼女の父は、働きすぎがもとで倒れ、
早くから寝たきりとなって、自分が苦労して建てた家の中を、
自由に歩き回ることも出来ない状態である。)
彼女の両親も、彼女も、それぞれに豊かさを求めたのである。
けれど、それが結果として、一層の貧しさを彼らにもたらしたのであれば...、
残念ながら求めたものが間違っていたと、言ってもいいのかもしれない。
お金の面で力になれない私たちは、
情報を提供しようと思った。
インターネットで調べたが、あまり埒が明かない。
法律関係の知り合いに相談すると、
自己破産の手続きをすることを勧められた。
社会的に破綻するわけではないらしい。
図書館に行き、
彼女の住んでいる地域の電話帳を調べ、相談窓口を探した。
○○県貸金業協会という社団法人があり、
多重債務者の相談に応じているようだ。
弁護士のページを探すと、弁護士会の法律相談センターがあり、
多重債務者の相談予約電話番号が載っていた。
個人の弁護士でも、
そういった相談を専門に受けているらしい人物が何人か見つかった。
忌々しいことに、消費者金融のページは実に華やかである。
みな、それぞれに1ページを費やして、かわいい子犬の写真や、
平和そうでにこにこした人のイラストを使って、
どうぞ、うちから借りてくださいと呼びかけている。
それが、何ページも何ページもえんえんと続くのだ。
私たちの家も、しがないサラリーマン家庭で、
旅行をしたり、パソコンを買い替えたりすれば、
てきめんに、別のところで我慢しなければならない。
けっして豊かなわけではない、と思っていた。
でも、
どうだろう。
借金がないというだけでも、何て豊かで平和なことか。
お金のことで言い争うこともなければ、
取立てにおびえることもない。
自分の分を越えそうになったとき、
小さな平和を軽く見て、感謝を忘れそうになったとき、
今日の気持ちを必ず思い出すようにしようと、
心に深く刻み付けた。
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