私は一体何者かになれるのか?(職業人として)

という焦りがある。

もう、社会復帰など無理なのかも?
という恐れもある。


仕事がしたい。
それは、本当の気持ちだ。

それも、一生やれる仕事が。

続けることによって自分の内でだんだん深まり、
何かの、誰かの役に立てて、
自分の生活も立てていける。

私にそんな仕事が出来るんだろうか。
そもそも一体、私に何が出来るのか?

私は憑かれたように毎日文章を書いているが。
これはお金にならないから、仕事ではない。
別に誰かの役にも立たないから、ボランティアでもない。
書きたくて仕方がないから、書いている。


看護婦になるべきだったと結婚してから思った。
誰かの役に立てる仕事で、心を扱う仕事でもある。
勉強することはいくらでもあるし、
熟練の余地も、限りなくある。
生活を支えるだけの、収入も得られる。
ある程度の(かなりの)年齢まで働ける。
しかも、どこの地でも、必要とされている。

たまたま母が看護婦で、病院にはよく出入りしていたが、
病院はあまり好きではなかった。
理科系が苦手だったので、自分を文系の人間だと決めていた。


読み書きは得意だったので、
何の疑問もなく、国文科に進んだ。
図書館司書の資格を取って、
出版社に勤めた。
編集の仕事は得意だと思っている。
やめた後に探してみたら、
悲しいかな、
そういう求人は、東京以外では見つからなかった。

資格をたくさん持ってるから、大丈夫よ
と言ってくれる人もいる。

この、てんでんばらばらな、いくつかの資格は、
私の歩いてきた、統一のない道の証だ。

よく言えば短期決戦型。
つまりは、一夜漬けの連続で、
学校生活や試験を乗り切ってきた。
自分ではうまくやったつもりだった。

でもだんだん分かってきた。
結局、毎日コツコツ努力する人にはかなわない。
紙切れだけ持っていても、中身がなくちゃ意味がない。
(そう!主婦業は、毎日コツコツの永遠の繰り返し、
そこんところが一番苦手なんだよね。
ついでに言えば
夫は完璧、毎日コツコツ努力型。
尊敬できるけど、それがまた悔しくもある)

カウンセラーを目指そうかと思ったこともあった。
そういう講座にも通った。
でも本当にその道を行こうかと思った時、
住んでた北海道では、資格の取れる大学院がないことを知った。

しばらくして、
自分の悩みさえ背負えない人間に
人の痛みを負えるわけもないことに気づいた。


私は本当に何かが出来るのか?
実は何にも出来ない人間なのではないか?
そう疑ってしまうので、
見下げる視線にキッとなるのだ。

*******


なかなか終わらないので、続く。

すいません。まんぼうさん(あれ以来無洗米研いでます)たぬさん、ドラママさん、タワシさん(応援の気持ち伝わってきました)蜜柑さん、あゆみママさん、なかなかメモまで行き着けませんでした。

今日は、鮭ときのこのホイル蒸しと、野菜たっぷりスープ(洋)ほうれん草の胡麻和えです。
メニューが同じものの繰り返しになるのは、
痴呆症の兆候だそうです。どきっ!!!

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