昨日の続きです。
専業主婦って永続的な身分じゃないよね。(そうすることも出来るけど)子供が大きくなれば、何か別のことも出来るだろうし、(仕事に限らず。)
今は今で、自分に出来ることを喜んでやれればいいんじゃないだろうか。

子育てなんて働きながら出来るって、保育園のことかな。いい保育に巡り合えれば、私が育児するより、子供のためになるのかも知れない。でも、大勢の中の一人であることと、私だけのあなた、あなただけの私、って言う母子関係は決定的に違ってると思うし、つたなくてもお母さんとの毎日をゆっくり過ごすことは、小さい子供にとって大切なんじゃないだろうか。
私がもっと家事全般要領よく出来て、フルタイムの仕事から帰っても、子供とちゃんと向きあう時間があって、生活に支障をきたさないなら…、(ううむ夢のようだ。)
でもさ、私が仮に何かで早くに死んだとしたら、子供と一緒にすごしてよかったなあって思うだろうな。預けて働くなんて勿体ない。ああ、子供が大きくなるのをちゃんと見届けたい。必要な時にそばにいてあげたい。

客観的に見て価値のある生き方をしている人が必ずしも幸せとは限らないし、私のあれこれ(専業主婦であることとか、他のさまざまな欠点とか)が客観的にはどう見えようと、私自身で価値を見出すことが出来るかどうか、が肝心なのではないかな。

こういう問題ってどっちが正しいかってことになりがちだけど、大切なのは個々にとって何が最善であるかってことだと思う。

昨日の日記で引用させてもらった人(名前わかんないので?さんとします。)稼いだ額で人の価値が決まるの?だったら、あなたよりもっと稼いでる人から「何だ、それだけしか働けないの。どうしようもないやつだな」って言われちゃっても仕方ないんだよ。上には上がたくさんいるんだから、相対的な価値判断してたら、あっという間に自分なんかゴミでカスになっちゃうんだよ。下を見てるつもりで専業主婦にツバ吐いてないで、もっと志の高いとこ目指しなよ。

子供を育てるって、なんかすごい原初的な満足感がある。うちの場合なら、二人の人間(私たち夫婦)が、新たに二人の人間をこの世に残していけるってことなのかな?理屈じゃなくって、生き物としてするべきことをしてるなあ、と思う。(子供のいない夫婦を否定するわけではなくて、育ててる人間に神様がそのためのエネルギーとして与えている気持ちなんだと思う。)
この二人の子供の存在がすごくいとおしいし、この子達にとって、自分もかけがえのない存在だと思う。こんなに自分を必要としてくれた人はこれまでこの世にいなかった。ありがたい。これで毎日生きていけてるんだよね。

昨日の日記とあわせて読むとちょっと間が飛んじゃってるかも。(ずいぶん省略したので)
後で見ておかしかったら、修正することにします。

半日たって昼間見直しています。なんか勝手にけんかしちゃってるよね。読んでくれてる人が現れてて、嬉しいと同時に赤面。読んでいただいてありがとうございます。
結婚当時の回想から、一気に飛んで8年後の今になってしまってるので、さぞかし分かりにくいことでしょう。すいません。
この間いろんなことがありました。自分の成長過程の間の傷、成長できなかった部分が、旦那や子供にずいぶん癒されて来たと思います。その詳細はおいおい…。

今日ははるたの体育参観でした。かわいそうに彼は私の血を引いて体育が出来ない。ごめんね。でも母さんもそんな自分のことどうにも出来なかったんだよ。この先長い学校生活の辛さを思い、私の胸も痛むのであった。
わざわざ半休をとって参観した夫に「何か習わせてやろうよ。何か自信をつけさせてやらなくちゃ…」と言うと、何かと煮え切らない返事。「何で私の言うことみんな否定するの?」と反撃してしまった。夫は昔からいろいろ出来たみたいで、出来ない辛さを理解できないのかも?パパに似れば良かったのに…。あかねは何かと器用に出来そうな気がする。

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